2011年03月13日

地震が

 大変な地震が起きました。 
 普段は全く見ないテレビを、こんな場合はネットをつないで流していましたが、見れば見るだけ、知れば知るだけ、惨状に、どんどん会ったこともない人々が心配になってきます。そして流れる情報に、きっと同じように私を心配している人もいるに違いない、と思い当たりました。
 更新もせずいましたが、友人知人が私の近況を知るために時折このブログを覗いている、と言っていました。地元が栃木県で、現在は沖縄にいる私を、今回の地震できっと心配しているであろう遠くの人たちに現状報告を。

 沖縄では、高台に住んでいる私の家のあたりでは、ほとんど異変はありませんでした。
 地震当日は、津波を心配していくつか電話もありましたが、現在の私の家は高台です。地震当日の夕方、海沿いから移動してきた車であたりが渋滞していました。でも、現実的な被害は、私の身の回りでは聞いていません。(あまり外出していないので、それ以外では分かりませんが)

 私の実家(栃木県)では、実家のある辺り(鹿沼市です)では電気も通じているそうです。けれども、宇都宮の中ほどから北は停電になっていると言っていました。停電のため、スーパーやコンビニなど、どの店も閉まっていて、停電している地域から、どんどん人が食料や日用品を探しに南へとやってきているそうです。

 私の実家はコンビ二なのです。停電している地域や近隣の人の買出しで、弁当類はもちろん、すでに水、カップラーメンなども売切れてしまっているそうです。チェーン店を回る配送は昨日は全くなく、また、届いてもいつもの半分やそれ以下の入荷になっているそうです。
 昨日、実家が福島だ、という近所の人が、悲痛は表情で買出しをして出掛けて行ったそうです・

 スーパーは、停電や、また停電していなくても地震による店内の混乱のため、軒並み閉まっているそうです。栃木県でもどちらかといえば南部に近いのですけれども。
 実家の食料が心配になって聞いたら、(電気も通っているから)水も出るし、ガスも(都市ガスではなく)ガスボンベなので使え、米もあるからなんとか...と言っていました。近所の農家にも知り合いがあり普段から野菜を貰ったりしているので、きっとそんな風に食料が回って来ているのだろう、と推測した。
 「だから、アパートの人なんかは(地縁がないのでスーパー探すしかないから)大変だと思うよ...」と母も言っていました。 

 お客さんが来ても、あとはロウソクとか懐中電灯くらいしかないよ...、と、少し残念そうに母が言っていて、ああ、この人はやっぱり商売人なんだな、とこんなときに思ったりして。

 もしこれが都会で、皆がスーパーで食料を買うしかないような場所だったり、もしくは食料のある畑を持っていても、それが土砂に埋まってしまった家や、汚染されてしまった家は...と思うと絶望的な気持ちになった。

 同じ地域でも、実家から1キロ離れただけで停電している場所もあり、近所でも、少し古い家では、瓦が落ちたり、塀が倒れたり、壁が崩れたり。

 実家の近所でもガソリンスタンドは、今日はどこも閉まっているらしい。売るガソリンが底をついてしまったから。弟はその話を聞きつけ昨夜あわてて給油に行ったらしいが、レギュラーガソリンがなくなっていたのでハイオクガソリンを入れてきた、と言っていた。(あの締まり屋の弟が...!)
 「あまりガソリンを使わないように...」と言って電話を切ったけれども、食料を求めて車で移動している県中北部の人たちや、またその他の地域の人たちはどうするのだろう?

 実家の近隣でも、今日から日に4時間ずつ停電になるそうです。
 まだ時々ゆれて怖いと。
 

 
posted by kimiko-pinebook at 14:49 | 沖縄 曇り | Comment(0) | sunny sideな日々

2010年11月18日

暗闇のかなたに

 「ナツのところはどうなんですか」
 と息子の就学前の健康診断の帰りだったのだが、行き合わせたお母さんに子どもの寝つきの様子について聞かれた。最近そんなことを考えてないな、と頭をひねった。
 そのお母さんは一番上の男の子が我が家の下の息子と同年で、さらにその下に歩き始めてしばらくの妹と乳児がいる。その妹がなかなか寝つかなくて困っているらしい。
「そうだなぁ。上のハルは確かにどちらかといえば寝る前にスキンシップを欲しがるかなぁ。ナツはお父さんに本をせがんで、その後に寝てるかなぁ。」
 と実際は一番先に自分が寝てしまっていることの多い記憶をぼんやりと掘り返しながら答える。『そういえばむかしよく周りのお母さんが、終わった子育ては忘れちゃう、と言っていたけど、それはホントなんだなぁ』と思いながら信号が青になったのに合わせて道路を渡った。
 もう一度保育園に戻る、という息子を送っていく車の中でも帰り道でも、寝つき云々よりもすっかり以前のことが思い出せなくなっていることが気になって、しきりに頭の中を捏ねくりまわしていた。

 もう娘も息子も、背中をトントン、ということはなくてもいつの間にか眠りにつくようになっている。しばらく余裕がなくて就寝前の子どものゴタゴタよりも、自分が泥のように眠りに逃げ込むことばかりだった。その間にすっかり子どもたちも大人に(?)なっていて、息子は本をいくつか読んでしまえば(これが長いのだが、息子はもっぱら父親にせがむ)二転三転寝返りをしているうちに眠ってしまうし、娘は私の隣にいるけれども、昼間は目いっぱい張り詰めて活動しているだけに、毛布にくるまり私との境界線をスリスリズルズルしていたと思うと突然に深い寝顔になっている。

 息子も娘も優しい気配や優しい言葉を投げて、寝かせる、というよりは、就寝前の安らかな時間帯に、私が子どもたちにいたわられている、といった気配の方が濃い。

 記憶の端をあわてて掘り返していたら、今よりもさらに少し寝つきの悪かった小さい息子の姿がおぼろけに浮かんできた。大体2頭身くらいで(本当はそんなことないのだが、記憶の中の息子は、いつもパンパース姿の前髪の逆立った乳児の姿に戻ってしまう)、眠れなくても特にぐずらず、電気を消した後でも何度も寝返りをしていた。そして、ときどき素っ頓狂な質問の声を上げる。さっき外に虫がいたねぇ、とか、そうだ、ムヒを塗るのを忘れてた!、とか。
 娘はもっと小さく、私の両腕に抱かれて、決して布団に置かれては寝付くことのなかった頃の記憶。
 立ち止まると引き剥がされるのを予知してむずかるので、まず立ったまま揺らしたあとに、寝息を立て始めたらそーっと私が布団に腰を下してしばらくは腕に抱いたままにした。大体そんな時間はこちらの体力も限界なので、完全に寝たら私も倒れこんで寝たい。部屋の電気を消し、真っ暗な中でずーっと娘の温かさを両腕に感じながら、ソファーに背中を押し付けていた。最後はボールをラインの向こう側に置くように娘を隣の敷布団に預けるのがゲームオーバーで、そのまま並んで我が身もよこたえた。鼻先と腕に残る、娘の丸い体の感触。

 もう少し最近に近い、そのあいだの記憶を探ってみるが、娘はすぐに、考え深げな忍耐強い今の姿に、息子は溶けるように笑っては走る今の姿に、たどりついてしまう。
 結局人の姿は、本質的にはあまり変わらない、ということか。
 それとも、ある程度年月が蓄積されてくると細かくては容量がオーバーするので、2年とか3年とかのスパンにまとめて印象も集約されるようになるのかもしれない。
 保育園時代、と区切ってみれば、娘の途方にくれた寄る辺ない表情も浮かぶ。その表情を思い出してみると現在の娘の内向的でどちらかといえば独断専行な性格が醸成された道筋もぼんやりと分かるような気がする。
 息子に関してはまだ保育園が終わっていないので、保育園時代、と括れるような印象のまとまりが見えてこないのかも。
 それにしても、過ごしているときはかけがえのないと胸が打ち震えたあの金砂のような時が、遠く離れてみればすっかり光も見えず、掬うにもその砂のありかさえおぼつかないというのは、人間が衰えること、いや、生き続けることの悲しさか。

 そういえば先日、夜中に息子をトイレに起こして、そのうしろ姿の変化に驚いた。
 少し前まではおしっこの出てくるあの部分が、うしろから見てても便器の縁にやっと届くか、今にもどこかに触れるかという感じで気が気でなく、よく横に入ってはその角度や持ち方に口を挟んでいたのだが、ふと気づいてみるといつの間にかその距離が便器から離れている。両足を開いて立つ姿は同じなのだが、便器と尿の放出部のあいだに、きちんと下への放物線を描けるくらいの空間ができている。
 驚いて夜半の暗闇の廊下の中で、前方からのトイレの明かりに背中を見せて佇む息子を、しげしげと上から下まで眺めなおしてしまった。
 眠気でときどきフラフラする、しわしわパジャマの全体の印象は同じなのだが、よく見れば脚が以前より硬く伸びた、脚らしい脚になっている。以前は脚であることよりも柔らかい肉とふくらはぎであるようなものだったのに。そして、以前は開いた脚から便器の上端まで、股から肩まで、肩から頭までがほぼ等間隔の、まるで絵に描いたキャラクターのような3頭身で立っていたのに、なんだか人間らしい、いや、はっきりと少年らしい様子とバランスになっている。
 そして、これにも気づいてしまったのだが、この夜中のトイレの後姿で一番かわいらしいと思っていた、背後からも見ることのできる両首の脇にはみ出たほっぺたの姿。いつも、いっちょまえに立っておしっこしてるけど、と思いながら眺めたあのあふれたほっぺの様子が少し違う。一歩下がって、まじまじと目を凝らした。そして、ああ首が太くなったんだ、ということに気がついた。
 きっと、こんな姿も遠からず見なくなるのだろう。息子の首が太くなることなんて、考えたこともなかった。おそらくこのほっぺもいつかは失われる。まずは、夜中のトイレに母親を起こすことがなくなるのかもしれない。そして私が背後のそれも上方から息子のうなじを眺め見下ろすことも。
 そして、こんなことをしていた時があって、何を眺めていたか、ということから私自身が忘れていってしまうのだ。

 最近は息子の質問も高度化してきた。
 先日は息子が、「なぜ魚は泳げるの」と夫に聞いてきたと言って閉口していた。その翌日には私に「なぜ魚は『魚』なの」という質問が。もちろんその質問には「パパに聞いてみたら」と応えておいたのだが。
 
 
posted by kimiko-pinebook at 04:48 | 沖縄 曇り | Comment(0) | sunny sideな日々